コーヒーと私を語る⑧ フレッシュクロップ

この時期になると、コーヒーの市場にはブラジル産のフレッシュクロップ(新豆)が出回り始めます。まだ果実だった頃の香りと酸味をたっぷりと残しつつも青々とした新鮮味も持ち、まさに新社会人!といった感じでしょうか。この後、色々な先輩方が貴方に火を入れて、貴方は果皮を破られながら焙煎されていくわけです。豆が青いままでいられるのは、ほんのわずかな時間だけです。

ここからはコーヒー豆ではなく私の話です。初めて経験したアルバイト、初めて手にした給料、初めてのお叱り、初めての罵声。昭和生まれの私ですが、今でも覚えているものです。私の研修医デビューは2005年。2004年に「新臨床研修医制度」と言われる制度が始まり、医療の教育現場が混乱していたさなかの2期生でした。この「新臨床研修医制度」は、それまで慣例的に続いていた指導医と研修医の封建制度・いわゆる医局制度を撤廃しなさいという国の制度改革でした。

それまでの医学生は、卒業し医師免許を取得すると、幾多と存在する各専門科の医局に「入門」し、内科なら内科、外科なら外科といった風に専門の技術を学び始めます。それら若手の医師は、医局に師事する「勉強させていただいている」という立場で、病院に雇用されているという意識は薄く、週に数回の外勤、医局から紹介された民間病院に出向しそこで勤務をして報酬を得ることがほとんどでした。本来の診療業務を行っているはずの大学病院からの給与は、「勉強させていただいている」という弱い立場と、外の病院でいくらかの報酬を得ているという事実が重なって、ある先輩の言葉を借りれば「高校生のアルバイトより時給が安い」とのことでした。一方で、医局が若手医師を派遣する地方の病院では質の低い医療しか提供されない、といった批判もありました。

2004年から始まった新臨床研修医制度では、医師免許を取得した新人医師は医局ではなく病院そのものに雇用され、一律で内科、外科、救急、産婦、小児、その他の科目全てをローテート、数か月ごとに巡回する教育プログラムを2年間受けることになりました。病院からの給与が保証され、研修医は無謀な働き方を強要されず勉強に集中でき、地方病院も魅力的な研修プログラムを準備することで大都市圏から若手医師を引き抜くことができる。……さぞや良い制度なんでしょうね。こう書いているので、結末はある程度予想できるかと思いますけど。

もう遠い昔のことですし、おとぎ話だと思って読んでくれたら幸いです。新制度が始まって2年目、1年先に経験した先輩方から惨状を聞いてはいたものの、現場は酷いものでした。指導医の先生方は「自分たちの医局に帰属する後輩ではない」というモチベーションの低さと、「外勤のアルバイトをしなくていいのだろう」という嫉妬から、本来の教育すべき立場を放棄しているように見えました。病院から払われるべき給与は私がこれまで経験したどのアルバイトよりも安価で、とても収入と呼べるものではなく病院の寮費を支払ったらマイナスになりました。研修開始当日に「外科医を目指しています!」と意気込みを指導医に語ってしまったために、一番ハードな化学療法チームに押し込まれ朝5時から夜12時まで連続勤務が続き、家に帰ることを放棄して医局で椅子を並べて睡眠をとるはめになってしまいました。心無い同期の医師から浮浪者のようだと笑われたことは忘れない。同じチームの同僚がある日突然来なくなり、2人分の仕事、朝5時から8時までに50人の採血をとり6人の手術準備を行い、上級医が手術している間は術野(じゅつや)を拡げる拘挽き(こうひき)を手に力をこめてプルプルしながら微動だにせずにこなし、手術の後処理を終えると、指導医からは診察したのか、カルテを書くのが遅い、と背中に罵声を受けながら診察とカルテ記入を行い、上級医の外来診察終了を待って今日の報告とチームミーティングを行う。当時、逃げた同僚のことを責める気にもなれませんでした。行方不明になった研修医は他にも居ましたし、自分もそうなってもおかしくないな、とずっと思っていましたから。

医者とはこういうものなのだと、そういう焙煎を受けた新人研修医は、数十年後にこうして故郷に戻り、精神科医として開業しています。その後何があったかは、お察しください。

当時の制度のままでは、このコロナ禍でなくても早々に医療は崩壊していたでしょうからね。私の同期は70人以上いましたが、臨床研修後に外科の医局を選択したのは1人、2日に1度の救急当直を強いていた循環器内科の医局を選択したのは0人。研修期間の中で指導医が一人ひとりの研修医にほぼ個別指導的に丁寧に教育を行った麻酔科には相当数の希望者が集まりました。外科医局、内科医局とも研修制度2年が終わる3月末のその日まで「自分たちの科は医療の花形だから希望者が来るに違いない」と言い続け、4月になると「2005年開始の研修医は出来が悪かった」と新人研修医に愚痴をこぼしていた、と言います。(そういうの、全部聞こえていたんですけどね。)

以上、私のおとぎ話です。

臨床研修制度もその後改良が度々行われ、研修医の身分も随分と向上した、と聞きました。私のような強火で焼かれ苦くなってしまった焙煎豆ではなく、優しく穏やかに、丁寧に焙煎された豆たちなのでしょう。大変な危機ですけど、頼れるのは若い力です。頑張ってください敬虔な後輩たちよ。

4月、この時期によく相談を受けるのが、「新人とのコミュニケーションがわからない」という悩みです。私の経験をもとに助言するとすれば、「何かを教育するのではなく、まずは仕事を体験してもらうこと」でしょうね。出来れば良い体験であって欲しいですけど、これまた自分の経験から言えば、良い体験か悪い体験か判断するのは新人さんでしょうからね。こちらは機会を与えて反応を待つしかないのです。

5月になると、「上司が怖い」という新人さんの相談を受けることが多くなります。いつも怒られているばかり、自分は仕事に向いていないのかも。そんなことはありません。半年後には出来るようになるはずなんです。初めて自動車学校に行ったときの車の運転、怖かったでしょ?今どうです?隣に座っていた教官はキーとかアクセルとかブレーキとかウインカーとかワイパーとか、乗ったその日に全部教えてきたりしましたか?全部が出来なければ、と、焦る気持ちで車に乗りましたか?仕事、すなわち社会、も同じだと思うんですよね。出来ないことばかり、わからないことばかり、だと思うんですよね。出来ないこと、わからないこと、を、まず自分で受け入れること。そして、日々、「体験したこと」をなるべく早いうちに上司と共有すること。「僕、アクセル踏めました」とか。上司の顔は怖いかもしれませんが、ささいなことからでも構いません。前述したとおり、上司は待っているはずなのですから。

私がもしも新人の時に「家に帰らせてください。自宅の冷蔵庫で弁当が腐っています」と指導医に言えたら、自分の未来は少し変わっていたのかな、と考えることもあります。コーヒーの場合は、焙煎をする側が豆を熟知している必要がありますが、社会人の場合、新人教育を行う人も実は新人教育の新人だったりしますからね。フレッシュクロップの皆さまも、焼かれるのを待っているだけではなく、自分から「これは熱い、これはキツい」と声をあげてみてください。「これは出来ました、あれをやってみました」と体験を報告することも一緒にね。すると、怖かった上司が柔和になるかもしれませんよ。……もしそうならなかったら、ごめんなさいね。

これから社会の荒波を乗り越えていく新社会人さん達が、仕事が出来るようになるかどうかは私の医療の範囲ではありません。仕事を始めたあとの恐怖感が、社会は怖いものではないという安堵に変化していく感覚を、デビューから数か月の間に多くの体験から学んでほしいです。と、社会人のやや先輩側に属する人間としては願っています。

当初、「コーヒーを語る」シリーズでまとめようと思っていましたが、読み返したところほとんどコーヒー関係ないですよね、と思い表題を変更しました。ここまで読んでくれた皆さま、お待ちいただいておりましたクリニックの告知でございますが、今のところ特にありません。Googleのレビューに温かいコメントを書いてくれた貴方、とても感謝しております。ありがとうございます。

大切なお知らせ

前の記事

5月の休診日