若き日の思い出 2006北海道編 新冠→屈斜路湖

皆様 お待たせしました。半年(以上)ぶりです。

若い日の思い出 2006北海道編 府中→新冠 | 静岡ななつ星メンタルクリニック (nanatsuboshi-shizuoka.com)

前回の投稿から半年以上。早いもので今年ももうすぐ終わってしまいます。昔を書き残そうと思い立ってから数日。忘れていたわけではないのです。昔の感動を表現する言葉が見つからず書き表せずにいたのです。2022年内にもう一日分だけ書き進めます。

2006年7月11日 午前7時

窓から差し込む爽やかな朝日で目が覚めた。

(地名が読みにくくすみません)

と言いたいところだが、あれほどの雨が夜を越しただけで止むはずもなく、それでも小雨程度になってくれていたのはせめても救いだろう。今日の目標は北海道南端のえりも岬を経由して十勝平野を北上し、屈斜路湖畔のライダーハウスを目指す。約300kmを走破する計画である。

地図上の計画では簡単に言えてしまうが、本州の換算で言えば静岡を出発>伊豆半島の先端を経由>中央縦貫自動車道で山梨を通過>群馬県の草津温泉に到達、という計画である。貴方の頭の中はどうなっているのですか、と当時の私に問いたい。意欲や興奮性の神経を刺激するアドレナリンで自身の行動を抑制できずにいたのだろう。

夜通し濡れて待っていてくれた愛機V-maxに火を入れ、日高、浦河といった北海道の南西海岸「サラブレッド街道」を襟裳に向けて下る。地域が変われば雨は上がり、どんよりとした曇り空くらいまでは回復していたが、風を切って走るバイクはまだ寒すぎる。ドン・キホーテで購入した雨合羽ならばなんとか頑張れそうだ。

途中LEXスタッド(種牡馬繋養牧場)に立ち寄り、2003年の天皇賞(春)や宝塚記念を制した生粋のステイヤー「ヒシミラクル号」と、当時の短距離界最速のレコードホルダーで生粋のスプリンター「カルストンライトオ号」にぜひ挨拶を、と門をくぐる。たちまち警備員が飛んできた。なんだ歓迎か?と身構えると、見学は来週からです、との警告。若干物々しい言い方だが、当時から見学者に扮装して1頭で億単位の価値がある種牡馬を傷つけようとする輩が(それが故意かそうでないかはわからないが)後を絶たず、やむを得ず牧場側も警備員を配置するなどの対策をとっているのである。ライトグリーンの安い雨合羽を着たままの若者が突撃してきたら追い払うのも当然だろう。ここは大人しく引き下がる。悔しいので売店で何かを買おうと思ったが、「馬のスネに当てるサポーター」とか、「削る前の蹄鉄」とか、およそ一般人向けの商品ではなかった。当然か。

さて、日高の牧場で寄り道した後は順調に襟裳岬を目指している、のだが、襟裳名物の濃霧が行く手を阻んでいる。大げさではなく、常時ライトを点灯しているのに2m先が見えない。油断していると突然トラックが濃霧を破って対向してくる。だが、大丈夫。ゼロ円マップによれば襟裳岬は絶景とアザラシの遊泳が見られる楽しいスポットだそうだ。

 

 

同日 午前11時頃

あざらしには会えず

楽しいスポット、襟裳岬は真っ白に覆われていた。何も見えず、波の音が下の方から聞こえてくる。近くに観光客もいるのだろうが、いかんせん霧で見えない。アザラシどころか何も居ないじゃないか。と、一人怒ってみてもこの霧は晴れず。売店で最南端証明を頂きポケットに入れ、この場を去る。

 

十勝平野に向かうと、襟裳の霧は嘘のように散っていった。相変わらず雲は厚いが、はるか遠くの山までは平らな草地が広がっている。夢中でインスタントカメラ「写ルンです」で写真を撮る。デジカメを買ってくれば良かったなと後悔したが、当時は買いに行く時間も金銭もなかった。

 

すぐ後に、それが幸いするのだが。

 

 

同日 時間不明

途中で十勝豚丼発祥の店「ぱんちょう」で豚丼を食べ、脂と熱量で気合を入れなおした。出来たばかりの帯広広尾自動車道を北上する。高速道路だが、一車線で前に軽トラが走っているので高速の意味をなさないのではないか、と思ったのも束の間、オービスを通過すると軽トラは猛煙をふきながら一瞬で遠ざかり目の前から消えた。あれが北海道の走り方か。恐ろしい。こちらはバサバサと派手に煽られながらライトグリーンの雨合羽スタイルである。走るうちに前ボタンははじけ飛んでしまい最早マント状態。防風も意味をなさない。風に身を切られるようで加速もできない。

むしろ邪魔だな、と路肩に停まり合羽を脱いだ。途端、右掌に本来感じるはずの、そこにあるはずの触感を感じず、やがて私は物凄く後悔した。だからドン・キホーテの安物なんて買うべきじゃなかったんだ。装備からきちんと整えるべきだったんだ。もう遅い。遅いんだ。

襟裳岬で購入した北海道最南端証明、フェリーからここまでの全ての感動を記録した「写ルンです」、道中の道の駅で買い込んだキーホルダー、右ポケットに入れていたここまでの旅程が、千切れ飛んだ右ポケットとともに十勝平野の大地へ霧散していったのである。あるべきはずの右ポケットにわずかに残った縫製の糸くずだけが、私に喪失を伝えていた。どこで落としたかもわからない高速道路、戻っての回収は不可能だ。諦めるしかない。

 

 

 

同日 午後3時頃

道東自動車道を経由して足寄に着くと、白樺の原生林が待っていた。野生の王国である。
バイクのエンジン音に驚いたようにキタキツネの子供が茂みから飛び出してきた。撮影チャンス!と右を探り、ああ、カメラは、と思い出して、忘れようと頭を振って林に入る。曇天から覗く太陽が、いつの間にか山の向こうに傾きつつあった。宿泊予定の屈斜路湖まであと数十km。ほとんど走りっぱなしだった上に重大な喪失もあったが、行程は順調である。

国道241号を疾走し、阿寒湖、弟子屈町を見る間もなく通過、国道243号「パイロット国道」に乗り換えて屈斜路湖畔を目指す。夕方には宿泊予定の「レストランぽんと」に到着した。宿泊費なんと1000円+税。ライダーハウス、と呼ばれる北海道独自のシステムだと思うが、設備は毛布2枚だけである。レストランの床にライダーが集まって、ごろ寝。1000円払って自らの体で床掃除とは、なんとも殊勝な心掛けだと今では思うが、こういう旅の仕方が当たり前だと思っていたのですよ、当時の私。北海道の雑誌「ゼロ円マップ」でもおススメの泊まり方法だったし。

同日 午後5時頃

食事がカレー1200円、というのは、率直に、高い。同じ値段を払うにしてもどこか他で食べたいと考え、道中で見つけた屈斜路湖畔の食堂のような建物へ戻る。ジンギスカン1300円。いいじゃないか、北海道らしい。入店すると、大きな牡鹿の角がお出迎え。夕暮れから夜になっているので、客は私一人。というか、店内で接客する人もいない。入るところ間違えたな、と立ち去ろうとすると背中に老婆が現れた。これだけでもちょっとしたホラー体験なのだが、「いらっす×●▽」……まずい、東北系の方言を聞きなれている私でも聞き取れないほどの訛りである。
出口をブロックされては身動きできず、「ジンギスカンを」と絞り出すように注文すると、「ごはんだえ」と老婆が大声を張り上げた。途端に奥の扉から5人程度の子供と大人が現れ私と同じテーブルを囲んだ。え、何が始まるんです?全員に米飯が配られ、大皿に野菜炒め。いや、どうみても野菜炒め。羊肉…?うーん、牛肉や豚肉も混じっている。鶏肉も。タレが美味しい。不思議な魅力がある。そして、楽しく会話をする家族なのだろうが如何せん言葉がわからない。ロシアかここは。
凍り付いたような笑顔で食事を終え、1300円を机に置くと老婆が玄関を開いてくれた。なんだったんだろう。アイヌの人たちだったのか?(今でも、この店の謎を私は解けていない。場所も名前も忘れてしまった。写真くらい撮っておくべきだった。)

同日 午後7時頃

湖畔のコタン共同浴場で一日の汗を流し、さて、戻ろう。だが、なんとなく、なんとなく、危険な香りがする。バイクをバンクさせて気持ち良く曲がったカーブの先には!!大きな蝦夷鹿が3頭道を渡っているところだった。
 寸前でリヤブレーキを踏んで体勢を立て直し鹿の尻をなでるくらいの距離で交わすことに成功。夜の北海道は野生の王国。危なかった。鹿との衝突は北海道では常識。試される大地ではヒトの方が弱いのである。安心したのもつかの間、鹿が角を振り回しながら突進してきた! のでアクセル全開で逃げ出した。暗闇での死闘。無傷で帰ることが出来て、良かった。

「おお、V-maxの人、無事だったか」 他のライダー達は酒の缶を片手に大声で旅の自慢を分かち合っている。日が落ちたら外出しないのは「常識」だそうだ。出会ったのが鹿だけで、熊に出会わなかったのは幸運らしい。食堂にはカレーの臭いが立ち込めている。1000円。本来はこういう事が旅の醍醐味なのだろう。私は少し苦手だ。

今日早々に失くしたカメラを思い返し悔恨を噛みしめながら、2日目は固い床の上で就寝した。

 

心理士より

前の記事

ふりかえりながら…
心理士より

次の記事

防火管理者講習🚒