若き日の思い出 2006北海道編 大雪山国立公園
院長、いつ北海道から帰ってくるんですか
気が付けば約1年ほど。サロマの湖畔で彷徨っていたブログの私、ようやく次の目的地へ出発します。
お待ちいただいた皆様、申し訳ありません。
なんとか完結まで導かなければ。
サロマ湖の朝焼けからスタートです。
2006年7月13日 午前9時
朝焼けの赤に染まるサロマ湖を右手に今日も走りだす、つもりだった。起きた時には日はすでに高く登り、ユースホステルの部屋には私一人が取り残されていた。わかりやすく言うと、寝坊した。バイク乗りの朝は早い。多くの旅人は東の知床方面に向かうのだろうが、今日の私は逆の西方向、湧別-上川から北海道中央部の大雪山国立公園を目指す。海を離れて登山ルートである。次の宿は山の向こうだ。
そろそろ、である。そろそろ、土産を買わなくてはならないのである。この旅のきっかけになったあの日、私が大金をゲットした際に、(不幸なことに)1人でなかった。両親は元より、彼女でもないのに競馬に付き合ってくれた幸運の女神様=後輩の女の子が居たのである。加護の見返りには大胆なモノが必須だ。
なぜか後輩の女の子の他に、私の財布が厚くなったことを聞きつけて「当然私にもありますよね」と五寸釘を刺してきた厚かましい後輩の女の子にも、お土産という供物を提供しなくてはならない。中途半端ではいけない。見栄えが派手で黙らせるくらいのモノが必要だ。この湖にはそれがありそうな香りがする。そう、美味しそうな磯の香りが。湖のほとりで見つけた北勝水産の直売所へ立ち寄る。ここで毛ガニ!一人当たり1杯なら文句もあるまい。ついでに「ほたて」の誘惑も受けたので生ホタテ&バター醤油を食べよう。
美味い! 朝採れたてのホタテの濃厚な香りが口いっぱいに広がる。生も、焼きも、鮮烈さと濃厚さを併せ持つ、獲れたてでしか味わえない逸品だ。(このブログを書いている約20年後ですら、あの香りを思い出せるのだから記憶の刻印は相当なものなのだろう。)あとは取れたての毛ガニを2人にそれぞれ直送した。これで女神も満足だろう。恩は返した。
同日 正午
ここまでは海沿いを走ってきたが、左に折れて上川方面へ。正面にそびえる山脈を目指す。北海道大雪山国立公園の中を縦走する層雲峡-三国峠は、東北端の知床半島のようにバイク乗りが憧れる目標地点の一つである。上川のあさひ食堂でラーメンを食べて充電したあとに、いよいよ山に踏み込む。
上川町から大雪国道を走り層雲峡へ到達した。大雪山の谷に沿って作られた道路は、そびえたつ岩山の間を駆け抜ける閉塞的な空間である。剣のように鋭い岩山と隙間からこぼれ出る滝の光景はまるで水墨画のように凛としており、その勢いに圧倒される。
バイクを停め少し休憩、缶コーヒーを開ける。ここは走り抜けるだけでなく、ゆっくり滞在したかった。僧侶の修験場のような、ただそこに立つだけでも身が引き締まるかのような「圧」を感じる。見方を変えると漫画ドラゴンボールの山々にも感じられる。とにかく異空間だ。岩山の間にホテルもある。そうだ、いつかここに宿泊しよう。
道が登りから下りに入り景色を遮るトンネルを抜けると、三国峠、旧地名で石狩、十勝、北見の境界の地に到達した。先ほどまでの角張ったモノトーン寄りの世界と異なり、エゾマツの原生林に浮かぶコンクリート道路は緩やかにうねり幻想的で、緑の海に抱かれているような気分になる。今日は他のバイカーの姿や排気音が無く、自分だけが、静かにざわめく森の上を疾走している。この数日で何度思ったか、やはり北海道に来てよかった、心が洗われる。9月の紅葉の時期も素晴らしいと聞くが、次に来られるのはいつになるのだろうか。(写真は参考です)
同日 午後5時
三国峠からさらに下り糠平湖を経て士幌町にまで来た。農村地帯を抜けて新得町へ。今日の宿、サホロユースホステルに到着。夕ご飯を探しに新得の駅舎前をうろついたが目ぼしい食堂もなく、見つけたそば屋で我慢する。北海道、士幌のじゃがいも名産とくればここはコロッケそばで!と注文したらなぜかアジフライそばが出てきた。うーん、違う、そうじゃない。しかし、不思議と美味しかった。アジフライの寛容さなのか、そばの守備範囲の広さなのか、新しい発見だった。
ユースホステルの相部屋で中年男性に知床と層雲峡の自慢話を伝え、相手からは積丹半島の自慢話を受け、双方の自慢を交換して就寝した。
この日までは毎日約300キロ程度の走破だったが、明日は600キロの行程である。足、腰、腕、尻の皮、だいぶ体が悲鳴を上げているが、きっと高揚感で乗り切れるだろう。と、私はこの晩まで自分の身体を甘く見積もっていた。
(次回の更新は未定です)